楽仙樓の歴史⑭「コロナ禍からの奇跡」

楽仙樓の歴史⑭「コロナ禍からの奇跡」

三原伸子 によって に投稿されました

コロナ禍でのテイクアウト需要

2018年のリニューアルを機に、これまでになく順調に売り上げを伸ばしてきた楽仙樓ですが、その勢いも2020年3月まででした。新型コロナウイルス拡大にともない、店を閉めざるをおえなくなったのです。


京都ミライマツリの売り上げから従業員にボーナスを支給し、みんなの士気も上がり、店の雰囲気もこれまでになく活気にあふれていたのに、たちまち給料を払うこともままならない状況に。リニューアルのために借入れた3000万円の返済も待ってはくれません。それでも、従業員の給料を減らすことは絶対にしたくありませんでした。


さらにそのころ、店のリニューアルに合わせ、店と別に事務所として一軒の町屋を改装して借りていました。その費用500万円を商工会議所の融資でまかなっていたので、その返済もしなくてはなりません。

町家事務所


従業員の給料を止めることはしたくありませんでした。緊急事態宣言になってからも、これまでどおりの給料を払い、店が再開したときにはすぐまた働きだせるように結束をゆるめないようにしていました。


ただ、この状況が長引けば、それもできなくなってしまう。コロナ禍の先行きはまったく見えないものの、緊急事態宣言とほぼ同時に、政策金融公庫に追加融資を依頼しました。私としては、ほかの借入れもあるし、借りられても500万円くらいかなと思っていたら、公庫の担当者は「まだこの先どうなるかわからへんから」と言って、3000万円を貸付けてくれました。


正直いって、コロナの状況がわからないなか、さらなる借金をかかえることは、とても不安でした。でも、このときの行動も、「すぐに動かなきゃ」と、何かが私の背中を押していたように思います。コロナにともなう融資の相談は、私がいちばん早かったらしいです。出遅れていたら、融資の相談が殺到して、数カ月待ちの状態になっていたし、果たして借りられたかどうかも、わかりません。


店を閉めていたころ、助けになったのはテイクアウト需要でした。土日だけテイクアウト窓口を開け、近隣に住むお客さんに向けてSNSで告知をして。外食ができなくても、いつもの楽仙樓の味を求めてくださるお客さんが、たくさんいることを実感できて、ほんとうにうれしかった。これまで以上に、お弁当やお惣菜をつくることができるうれしさを、かみしめる毎日でした。

時短営業



工房オープンで起こった奇跡


コロナによるダメージは大きなものでしたが、同時に私は、以前から考えていた工房づくりに向けて、動き出していました。店舗とは別に、水餃子と惣菜の外販(百貨店やイベントでの出店販売など)を強化したいと考えていて、そのための工場が必要だったのです。


コロナの影響ですべてが停滞してしまっても、あきらめきれず、大規模な工場は無理でも、なにか別の方法はないかと考えていました。物件を探してみたりもしましたが、いまひとつコレといったものに出合えない…と思っていたころ、街を歩きながら、あるパフェのお店が目につきました。店から近かったので、パフェの店に入ったこともありました。その店が、コロナ禍になってからシャッターがしまった状態で、いい場所でいい物件なのにもったいないなあと思っていたら…。


ある日、またその店の前を通ったら「貸出し物件」という紙が貼ってあるではないですか。私は事務所に着くなり、すぐに張り紙の問い合わせ先に電話をして、内見したいと伝えました。その翌日、実際に内見したときに鳥肌が立ったことは、今でもはっきり覚えています。絶対にここを借りたい。何がなんでもここで工房をやりたい。



不動産会社の担当にもそう話しましたが、私より先に3軒も希望者がいるということでした。京都大丸からほど近い場所で、道は狭いながらも人通りが多く、外食店もつらなっているエリアですから、希望者が多いのは納得です。また、間口はそれほど広くなくても、奥に向かって細長く続く間取りは、工房としては申し分ないつくりでした。それだけに、私は「どうしても借りたい」という思いがいっそう強くなって。さらに、楽仙樓の店舗がすぐ近くにあるので「この場所でなければ」ダメだということを強く訴えました。


この訴えがよかったのか、物件の持ち主は、保証会社をつけることを条件に、借り主として私を選んでくれました。ただ、いざ保証会社の審査を受ける段階になると、すでに計6000万円もの借入れがあることがネックになって、審査が通りません。


となれば、自分のツテを頼って、保証人をつけなければなりません。このとき助けてくれたのが、父の古くからの知人で、お店にもよく通ってくれていた方でした。工房を借りたいけれど保証人が見つからないと相談すると、快く引き受けてくれたのです。


4月に物件と出会い、いろいろあってようやく契約できたのが6月末。そこから急ピッチで改装工事を始めましたが、まだコロナ禍ですから、さまざまなものごとが遅れがちです。物件は、入り口のところにお弁当やお惣菜を売るスペース、その奥に事務所と工房というつくりです。特に工房は什器や餃子づくりの機械などを新調する必要があり、どう考えても2〜3カ月はかかるというのが当初の見立てでした。でも、私はどういうわけかこのときも、「早くしなきゃ」と気持ちは焦っていました。中国ではラッキーな数字にあたる「8」にちなんで、8月1日にオープンしたいと考えていたのです。


私の希望に合わせて工事も急ピッチで進み、本当に8月1日にオープンできると決まったときは、「なんとかなるもんや!」と思ったのと同時に、ものすごい奇跡も感じました。8月1日というのは、母が27 年前に店を始めた日だったのです。さらに奇跡は続きます。


母が店を始めたのは、46歳のとき。そしてこの年私も46歳。母に言われて気づきました。ただの偶然ではなく、引き寄せられるようにして、工房のオープンまでなんとかこぎつけた。まだコロナ禍ではあったけれど、不思議と未来は明るく感じたものです。

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楽仙樓の歴史⑮「工房オープン」
楽仙樓の歴史

楽仙樓の歴史⑮「工房オープン」

投稿者 三原伸子

「手包み工房 楽仙樓」 2021年、念願の工房兼テイクアウト専門店「手包み工房 楽仙樓」がオープン。コロナ禍の影響をまだ引きずっていた時期ではありあましたが、念願の工房をもったことで、楽仙樓は未来に向かって、新たなスタートを切りました。 それは、表から見えることにとどまらず、時間とお金をかけてこだわった、工房のスペース拡大と新しい設備によるところが大きかったといえます。力を入れ始めていたテイクアウトの水餃子に加えて、中華丼、ワンタン麺、肉まん、あんまんなど、一気にメニューを増やしました。特に、急速冷凍ができる大型冷凍庫の導入により、多くの餃子をつくりたての状態で保存することができるようになったので、通販のための各種セットや、既存のセロリ餃子の皮にセロリの絞り汁を皮に練り込み、うすい緑色をした餃子にグレードアップしたりしました。ちょっと特別感がありますし、ほんのりセロリの香りが漂う、今では人気商品となっています。 同時に、73歳になった母は毎日料理をつくることが体力的に難しくなってきたのも事実でした。そこで週に2日、餃子づくりをする日にだけ出勤し、スタッフと一緒に1日2000個をつくるようになりました。具材をカットしたり混ぜたりするのは機械で行いますが、餃子の皮を伸ばし、包むのは人の手でしかできません。午前中にスタッフが餃子の餡と皮の仕込みをしておき、午後2時半くらいから母を筆頭にスタッフ(日によって異なりますが、8人ほど)が集まって一斉に包み始めます。その様子を見た人は、あまりの手の早さに驚きますが、これが母がずっとやってきて体に染み込んだスピードです。そうやって、午後5時には2000個を仕上げます。 餃子作りの様子 ここで、新しく導入した大型の急速冷凍庫が頼りになります。餃子の皮はすぐに乾きやすく、乾くと破れやすくなるのが特徴です。急速冷凍庫でも風量が強すぎると餃子にヒビが入ってしまうということを、かつて経験してきたので、工房のリニューアル時には、風量調節ができるものをこだわって導入しました。業務用の大きな急速冷凍庫は驚くほど値段が張りますが、これだけは妥協できませんでした。コロナの影響による助成金を厨房設備に使うことはできないので、また別に借入れをすることになったのは、予定外でしたが…。 SEO対策、SNSの強化 店内だけでなく、テイクアウトや通信販売も順調に伸びていきましたが、それまでの借入れを返済していくことを考えると、いつもギリギリの状態です。銀行への返済の一部は、2年ほど先に延ばしてもらい、とにかくコロナ禍で落ち込んだ売り上げをリカバーし、足元のビジネスを固めることに注力しました。 新しい商品や商流は少しずつ増えていきましたが、また別の新しいことを始めないといけないということを感じていました。それが、WebサイトとSNSの活用でした。コロナ禍で時間ができたときから少しずつ始め、Googleやekitan、そのほかグルメサイトへの情報登録は、自分なりに勉強しながら充実させていきました。お客様やこれからお客様になる方が検索したときに、求める情報がすぐ得られるように、そして感染対策や衛生管理などに安心して来店してもらえるように。さらには、楽仙樓のホームページにはお店の歴史や餃子づくりのこだわりなども載せて、ファンになってもらう工夫も重ねました。インスタを開設してその日のランチメニューを発信したり、公式LINEアカウントも始めました。 ただ、このあたりまではあくまでも私の独学で自分なりのやり方です。これから先は、しっかりとマーケティング理論にのっとった、次のステップが必要になると感じていました。そこで、DMMチャットブースト(公式LINEアカウント運営のサービス)をとおして、マーケティングの知識を強化するプログラムに参加することにしました。仕事は忙しさを取り戻していたけど、オンラインで受講できるし、その後も必要なら仲間とチャットでやりとりできたり、最新情報をキャッチアップすることもできます。…と今になってみれば、そういうことになりますが、そのときは「どんなんかわからへんけど、とにかくやってみよう」という気持ちでした。  

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楽仙樓の歴史⑬「2018年のリニューアル」
楽仙樓の歴史

楽仙樓の歴史⑬「2018年のリニューアル」

投稿者 三原伸子

リニューアル費用3000万円 テレビやカタログ通販が始まって以降の楽仙樓は、試行錯誤の連続でした。水餃子の人気が高まるのはうれしい悲鳴ですが、同時に、毎日の業務に耐えられなくなった厨房などあちこちで、傷みが露呈し始めます。 2003年に店を移転してしばらくたってから、何度も漏水してしまったり、特にトラブルが多かったのが、厨房の床でした。配管が壊れてしまったこともあったし、ビルにもずいぶん迷惑をかけたこともありました。床にたまった水を汲み出しながら営業を続けたこともありました。こんなことが続いて、さすがになんとかしなくてはマズいと思い始めたのが、2018年。とにかく早く。なんとかしないと。どういうわけか、強くそう感じていました。 工事をするなら、今後も安心して働ける状態をつくりたくて、ほかの飲食店ではあまり使わない、でも強度のあるFRP防水という方法を選択しました。内装を変更したり、老朽化した厨房機器も一部を入れ替えすることになり、その総額3000万円。これほどまでにお金がかかるものかと、愕然としたことを覚えています。 けれど、立ち止まってはいられません。まずは、条件にあてはまりそうな補助金をピックアップすることから始めました。まさに、藁をもつかむ思いです。とはいえ、何から手をつけたらいいのかさえわからず、商工会議所に飛び込んで、「店の改装をしたいのだけれど、どんな補助が得られますか?」と相談することから始めました。そのときの担当者と出会ったことは、その後の私にとって大きな糧になりました。書類の書き方ひとつわからなかった私に、ひとつひとつ教えてくれて、店の事業計画を示す文章づくりも、丁寧に添削してくれました。私にとっては、ひとつひとつが勉強です。頭を悩ませながらも事業計画の作文を仕上げたことは、自分自身の将来の方向性を考えることでもありました。リニューアル後の店でやりたいこと、通販事業や工房の計画…。時間はかかったけれど、頭の中が整理されたようで、目の前がクリアになって、前に進む力がわいてくるようでした。結果、いくつかの申請が通って、合計300万円の補助金を得ることができました。 イベントでの売り上げをすべてボーナスに 補助金が出ても、リニューアル予算の3000万円にはまだまだ足りません。そこで、初めて金融機関からの借入れをすることにしました。このころは、知人たちから借りていたお金も返し終わって、さらに売り上げも伸びて実績もでき、金融期間の信用も得られるだろうと考えたからです。 はじめに訪ねたのは、京都信用金庫でした。書類をそろえ、審査も進み、「3000万円借りられそう」と期待がふくらんだものの、最後の最後に「貸せない」という判断でした。そんなー! 早く工事を始めたいし、私はどうしたらいいの!? そんなふうに言って、半泣きで訴えました。そのとき何を言ったのか、よく覚えていませんが、たしか「どうしても店を新しくして事業を軌道に乗せたい」「このリニューアルに賭けている」「絶対やる」「とにかく助けて欲しい」というようなことを感情に任せて吐き出していたのでしょう。 それを聞いた担当者は、もう一度検討してくれて、なんとか1000万円を貸し出してくれることになりました。いつもの私だったら、あんなに上手に自分のビジョンを話すなんてできないはずなのに、あのときは何かが降りて来たのか、火事場の馬鹿力だったのか、今思い出しても不思議に思います。 それでもまだ足りない2000万円は、中小事業者の支援をする政策金融公庫から借りられることになり、これでなんとか3000万円を用意することができました。 リニューアルは、厨房の防水設備だけではありません。客席の内装を新しくし、厨房の配管や動線を刷新し、テラス席も新しくなりました。また、店頭の道路沿いで売っていたお弁当でしたが、夏や冬に年老いた父が屋外に立つのはさすがに厳しくなってきて、店に大きな窓をつくって店内から販売できるように変更しました。それまで何度かリニューアルしてきたテラス席ですが、そのころにはお店の顔として完成形に近づいていました。屋外にテーブルや椅子を置くことに当初は反対していた大家さんも、その完成具合には納得して、認めてくれるほどでした。 そしてなにより、2カ月におよぶリニューアル期間は、従業員みんなの団結をもたらしました。ここまで、いろんなことがあったし、厳しいけれど温かい母の情のようなものが、関わる人たちの心を引きつけ、ものごとをよい方向に導いてくれたのだと思います。 リニューアル後の店は売り上げが1.5倍に増え、忙しさも加速していきました。窓口を新しくして売り始めたお弁当も、つくるのが間に合わないほどよく売れました。うれしい悲鳴はさらに続き、2019年には南座で行われた大規模なイベント「京都ミライマツリ」に出店することに。ものすごい人が集まる場ですから、それなりに餃子(蒸し餃子)をつくってのぞみましたが、それでも足りません。行列をつくって待ってくれているお客様のために、お昼休みに店に戻って追加でつくったりも。1週間のイベントで約130万円もの売り上げをつくることができました。 そして、その130万円をすべて従業員へのボーナスとして分け合いました。「今までありがとう」の気持ちとしては、まだまだ足りないくらいですが、そのときできる最大の感謝の気持ちでした。 リニューアルはさまざまな良い結果をもたらしましたが、あのころ「早くなんとかしないといけない」という差し迫った気持ちーーなかば予感めいたものーーは、正しかったと本当に思います。1年遅れていたら、コロナ禍にさしかかって計画は大幅にずれてしまっていただろうし、銀行の融資どころではない事態だったでしょう。あのころ躊躇して工事をさらに先まで持ち越していたら、工事費は高騰して3000万円では済まなくなっていたでしょうし、いろんなことが、まさに「あのタイミング」しかなかったのだと思います。 店のリニューアル後、毎月のように「過去最高」の売り上げを更新していった楽仙樓ですが、神様はそう簡単にものごとを運ばせてはくれません。2020年、店の営業は停滞してしまいます。新型コロナウイルスによる新たな試練がやってきたのです。  

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